世界のインド人街から

【ニューヨーク編@】
Jackson Heights

2001年12〜2002年1月)

小林

 

 

Jackson Heights
ジャクソン・ハイツ

ジャクソン・ハイツはニューヨーク/クイーンズ区にある、ニューヨークでは最大規模のインド系商業地区である。
数々のインド系ショップが軒を犇めかせ、多くの在NYあるいは近郊のインド系住民が訪れる幻惑のバザールだ。

ジャクソン・ハイツ概略
ジャクソン・ハイツはアメリカ国内の他の地域にあるインド人街同様、1960年代以降、急速に発展を遂げてきた。とりわけ1965年に移民規制が廃止され、それまで期間限定のヴィザでしか滞在出来なかった多くの層が安心して居住出来るようになると、アメリカ国内のインド人(Asian Indian)人口は急速に増えていった。
経済力を付けたインド系住民は、特に70年代に入ってジャクソン・ハイツ地域に集中して投資していった。何故この地域が選ばれたのかについては、何人かの住民に聞いたが判らなかったが、あるインド系住民によればジャクソン・ハイツに出来た最初期の小売店の一つがPatel Brothers(ジャクソン・ハイツでも中心部で営業)だったという(Patel Brothersは1974年、小さな雑貨屋として事業をスタートさせて以降、現在では全米規模で営業を展開するインド系食料品店。(全国見て回った訳ではないが)殆どのインド人街で、同店の看板は目にする)。勝手な想像だが、このPatel Brothersが中心となって同様の小売店が集中するようになったのかも知れない。
こうして形成されたのがNYの「リトルインディア」とも言うべきジャクソン・ハイツである。現在では雑貨、衣類、宝石、音楽/映画ソフトをはじめとし、在住のインド系住民から「デリーにあるものでジャクソン・ハイツで入手出来ないものは無い」とまで豪語せしめている。
ジャクソン・ハイツ周辺には、他国からの移民がインド系同様に商業地区を形成させている。特に最近では韓国系の勢いが目覚しいという。他にも中南米系、中国系資本による商業地区が目を惹く。
NY市の統計によると、70年代にはクイーンズ区の白人人口は全体の78%であったという。しかし現在では48%が白人、20%が黒人、20%がヒスパニック系、そして12%がアジア系である。そしてこのインドを含むアジア系新規移民はどんどん増えていく傾向にある。
1990年の統計では、クイーンズ区には56601戸のインド人家庭が存在する。下にも記したように、インド系住民の中には単身の出稼ぎ労働者も含まれるものの、相当な数のインド人がそこで生活している事が分かる。またNY市には五つの区があり、当然それらにもインド人は分布している。従ってジャクソン・ハイツに集まってくるインド人の潜在的な数は更に大きいものであると言えるだろう。
(在米インド人を知る上で、関口真理さんのHPは大変参考になりました)


マンハッタンからコゲ茶色した地下鉄7線(路線図)にゴトゴト誘われる事十数分。イースト・リバーを渡りさえすれば、そこには第三世界を中心とした各国からの出稼ぎ労働者が織り成すディープワールド・クイーンズQueensがあなたを待ち構えている。


(上)地下鉄の中にあったウルドゥー語で書かれた「禁煙運動」団体の広告。写真が小さいが、このモデルの女性はパンジャビーを着たインド系。
(下)ジャクソン・ハイツのあるQueensは現在も工場地帯である。そのため工場労働者をはじめとして安価な部屋代を求める労働者が多く居住している(部屋の相場は6〜700ドルほど。出稼ぎ労働者の場合、何人かでシェアしているケースが殆どだ)。


ジャクソン・ハイツへは他に、E,F,G,R各線のRoosevelt駅で下車しても行く事が出来る。写真の出口はボリウッド映画専門館・Eagle Theater真横の出口。
NY・ハーレム在住の日本人ライター・堂本かおるさんの情報によれば、現在E,F,G,R各路線は複雑に変更中のため、利用時には駅で要確認とのこと。その点7線は比較的判りやすい。
■追加情報(2002年7月6日付)・・・
「(地下鉄V線が開通し)現在は7以外に、E,F,G,RとVも使えます」---情報提供/堂本かおるさんの書かれたJackson Hightリポート

 

ジャクソン・ハイツへの入り口/7線74th駅
「階段を降りると、そこはボンベイだ!」
(在住4年目のパキスタン人:談)

 


ジャクソン・ハイツ37Avenue。
見渡す限りインド系商店が犇めき、確かにここがボンベイであるかのごとく錯覚させられる。商店が開くのは午前11頃から。

 


ブロードウエイBroadway側から見た風景。見えにくいが写真の中心に写っているのがEagle Theater、右側の建物の看板はシャー・ルク・カーン(オメガ時計の広告)である。(↑の拡大写真はこちら

 

 


(上)ジャクソン・ハイツで熾烈な商売合戦を展開する八百屋の両雄Apna Bazaar(手前)とSabzi Mandi(奥/残念ながら写真が白トビしていて見ずらいが)。共に全米的に展開しているこの二軒の八百屋は、何故かわざわざ隣り合わせに建っている。
(下)Sabzi Mandi 店内。10人に一人ぐらいの割合で白人や韓国系といったインド系以外の客がレジに並んでいる。店内はかなり広く、豊富な食材が取り揃えてある。異国という場所柄、東西南北・全インド的/全宗教に対応した食材が求められるせいかインド国内の八百屋よりバラエティーは豊富である。


店内に山積みされたバスマティ米。
インドでもなかなか庶民の口には入らない高級米である(バスマティ米農家についてはこちら及び、インドの農業生産についてはこちらが詳しい)。私は一度バスマティ米を食して以来トラウマになった。
インドのバスマティ米輸出量は年間50万トンで、主な輸出先は、中近東、ヨーロッパ、および北米である。最近ではアメリカの悪徳業者(Texan company社)がインドから稲を持ち帰り、多少の品種改良を施し、元来インドでの固有名詞であったバスマティを、その名もズバリ「バスマティ」という商品名で名称登録したため裁判沙汰になったが、こちらによると結局インド側が敗訴したようである。


通りにはパーン(噛みタバコ)を売る屋台まである。屋台の脇にはアルミのバケツに水が張られていて、何枚ものキンマの葉が浸っていた。
店主はベンガル人。パーンはバナーラスが有名であり、デリーなどのパーン屋では「Vanarasi Paan」という看板を掲げた屋台も少なくないが、ここでは特にそのような表示はしていない。屋台周辺の路上も心持ち赤くなっている気がする。

 

 


カセット屋の店内。上はベンガル人、下はパンジャブ人の店で、それぞれ品揃えに片寄りがある。アメリカのカセット屋におけるボリウッド映画DVDの豊富さは、インドはもちろんシンガポールなど東南アジアを遥かに上回っている。
食材屋、レストラン、宝石屋、サリー屋と共にカセット屋がある。これもまた世界各地のインド人街でおなじみの風景である。


参考サイト:
Indian Grocery Stores (New York) NY/全米の雑貨屋一覧(同様のサイトは多くあるが、ここが非常に詳しい)
ニューヨーク・ブラックカルチャー・トリヴィア(ジャクソン・ハイツの情報をいただいた堂本さんのサイト)
参考文献:
Johanna Lessinger著「From the Ganges to the Hudson」

 

 

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